卵子提供体験談2009.06体験談

『長い葛藤…、でも今は「母」と言える私に』~卵子提供プログラム体験者の方より~

人生というのは、全く予想だにしなかった方向へ流れていくことが時としてあるものです。

10代・20代だった頃、その年頃の女の子同士の会話にありがちな「将来の旦那さま」「子供の数は・名前は」など、ご多分に漏れず私自身もまた、そんな“少女の夢”を友人達と笑い合いながら語っていました。

結婚をし、ごく当たり前に子供を授かり、ごく当たり前にその子は成長し・・・
そんなどこにでもある、家族を作る人生が、自分にも必ずあると信じて疑っていませんでした。

婦人科疾患が発覚し、初めて授かった子を亡くし、再び子供を授かりたいともがき続けた数年間。直面する現実は、自分の意思に反して、残酷なまでにどんどん酷くなる婦人科機能の低下でした。

「もうこれしか道はない」とIFCの門を叩き、実際に検査渡米した後でさえ、正直なところ、かつて思い描いていた、自分の“家族像”からどんどんかけ離れていく現実を受け止めきれていない自分がいました。

「夫の子供ならそれでいい」と割り切ったつもりの自分と、心の奥ではこの選択の重大さを受け入れられずにいる自分がいたのです。

カウンセラーの和実ハートさんとのお話の場でも、愛情のこもった目でご家族の写真を示しながら話される様子に頷きながらも、「なぜこの方は、卵子提供を受けて授かった子供を堂々と"娘"、"息子"と言うことができるのだろう?」と、そんなことが頭の中では回っていました。

こんな状態でしたから、ドナーさんの選択もとてもすぐには決めることができませんでした。これだけ躊躇いが消えない時点で、この選択を辞める道もあったのかもしれません。

日本に帰り、時間だけが流れていく中、私はよく夫に不安と愚痴を漏らしました。でもその度に夫は、決して自分本位ではない言葉を穏やかにかけてくれ、また「嫌なら辞めてもいいんだよ」とも言ってくれ、それが逆に支えになっていたのだとも思います。とにかくドナーさんの紹介だけは続けてもらうことにしました。

それでもこれだけ時間をかけてもドナーさんも決めることができない、もう辞めようか・・と考え始めた頃、ふと舞い込んだ紹介リストの方に、不思議と「この方なら」と思える感覚をやっと夫婦共に初めて感じ、移植渡米の運びとなったのです。

一度目は着床せず。二度目の凍結卵移植で見事妊娠反応が出ました。その頃でも、依然として気持ちのくすぶりは残っていましたが、チェッカーで陽性反応を見た瞬間にはやはり嬉しくて、夫に電話してしまいました。

妊娠中も心身共に平坦な道のりではありませんでした。
元気な心音を聴けばホッとはしたものの、胎動を感じ大きくなっていくお腹を見ながら、気持ちの中はグラグラと揺れているままでした。
この赤ちゃんはどうして自分のお腹にいるのかと、とてつもなく大それたことをしているような気がし、果たして愛情をかけられるのだろうかと不安でいっぱいでした。

夫以外にこの気持ちを話すこともできず、時折川田さんにメールを書き送ったものです。その度に、本当に親身になって労わりの言葉を綴った長いメールを送ってくださり、とても有り難く思いました。

そして無事に産み月を迎え出産。
普通であれば感動的な、産声を聞いた瞬間も、あろうことか私の中によぎったのは、「ああ、生まれてしまった・・どうしよう・・」祝福の気持ちとは違った感情でした。

その後の昼も夜もない授乳やオムツ替えの日々の中でも、腕の中にいる赤ちゃんと自分自身との間に、隔たりを感じたものでした。
新生児期の健診時に、「お母さん」と呼ばれることに違和感を感じたこともありますし、赤ちゃんに向かって自らを「ママはね」「お母さんよ」等と言うこともしばらく出来ませんでした。

しかし、いつの頃からでしょうか・・・・特にこれというはっきりしたきっかけがあったわけではありません。抱っこし寝顔を見て、声を聞き、話しかけ、離乳食を食べさせ、笑顔を交わして・・・
そんな日々の繰り返しの中で、私はその赤ちゃんの「母」になっていったのです。

今ではあちこち走り回るくらいに元気に成長したその子は、すっかりもう「自分の子」です。この場に体験談として書かせていただいていることも、なにかもう自分のことではないかのように、気持ちの上ではもうかけがえのない大切な「我が子」と思えるようになりました。
妊娠中・出産直後の当時の自分の感情を思い起こすと、本当にこの変化は信じられないほどです。それでも、まさしく今は大切な大切な我が子なのです。

今ではこんな風に考えています。
少し前の時代であれば、私のような身体の状態では、二度と子供を抱くことは出来なかったでしょう。逆にもっと先の未来であれば、もしかしたら何かしらの技術(卵子若返りなど)で、再び自分の子供を授かることができるのかもしれない。(それはそれで本当に願わしいことではあるのですが・・)
今この時代に生きていたからこそ、こういった選択を選ぶことができ、沢山の方々の思いや祈りや力を借りて、この子はこの世に生まれてくることができた、かけがえのない存在なのだな、と。世界の他のどこでもない、私達の子として生まれてきてくれたのだな、と。

長い葛藤を繰り返しながら、やっと「母」と言えるようになった人間もいるということで、もし少しでも参考になればと、この度文章を書かせていただきました。

思いもよらなかった方向に流れてきてしまった人生。
それでもそこから得た思いや経験、そして新しい生命に改めて心から感謝をしつつ、筆を置きたいと思います。