卵子提供体験談'04〜'00体験談

関東甲信越地方のK様のメッセージ「インターネットで知った会社を最初は信じなかった僕等」

川田さん、ごめんなさい、今だから正直に言いますが、僕等は最初、インターネットだけで知ったIFCのことを信用していませんでした。

こうして、IFCとサンフランシスコ生殖医療センターを通して二児の親になって、(上の子は4歳、下の子はもうすぐ2歳になります!)毎日うるさいけれど幸せに暮らしているので、今となったらこんなことを言っても許してもらえますよね。

二人目が生まれてからもうすぐ2年になるけれど、『卵子提供プログラム』という、まあ、言ってみれば「特殊な」手段で子供を授かったものですから、やっぱり他の方のケースが気になるもので、IFCのホームページはしょっちゅう見に行ってました。
最近新しい体験談が載せられているのを見ていたんですが、僕等と同じ心配をしていた人っていないのかな、と思って今更ですが、体験談をお送りすることにした次第です。

6年前。妻は、不妊治療を続けているうちに、排卵がすっかり止まってしまって、医者にはもう諦めろとはっきりと言われてしまっていました。妻は離婚してもいいなんて泣いたけれど、僕にはそのつもりはなかった。まあ、二人だけの人生だっていいじゃないかと慰めあいながら、でもやっぱりどこかで子供を持つという夢を捨てきれなかったのがその当時の自分達です。

その頃ちょうどインターネットが一般化してきていて、僕等も自宅用にパソコンを買ったんですよ。いろいろなことを検索して「遊んで」いるうち、やっぱり「不妊治療」の検索を真剣にしてしまいました。そうしてインターネットで見つけたのがIFCのホームページ。ニュースとかで少しだけ聞きかじっていた「卵子提供」のことを具体的に知ったのもその時でした。

当時は、インターネット詐欺とかが取り沙汰されていた頃でもあり、僕等は正直言って悩みました。「卵子提供」ということ自体が何だかとっても突飛なことのように思えたし、だいたいそれを取り扱っているのがインターネットで見つけた会社。「信じていいのかな?危ないんじゃないかな。」というのが、率直な最初の印象でした。

しかし、自分達にとって子供を授かる道は、里子をもらって養子縁組をするか、卵子提供プログラムしかなかった。里子については、僕等はもうその当時ですでに40歳を越えていたので、いろいろ決まりごとがあったから新生児は諦めなくてはならなかった。僕の血を引く子供、そして妻自身が妊娠・出産できるということ、その二つがやっぱり大きなポイントになったので、気持ちはどんどん卵子提供プログラムに傾いていきました。

しかし、卵子提供プログラムの金額は、ばかになりません。何百万もかかるわけだから、僕等のような普通のサラリーマン家庭にとっては、大きなことです。だから、ますますこの「インターネットで見つけた会社」というのが怖かった。もしかしたら、全部騙し取られるんじゃないか、なんて思って。笑わないでくださいね。あの時は、本当にそういう気持ちでした。

でもね、僕等は考えたんです。このまま何にもしないでいたら、きっと一生後悔するんじゃないかと。もし本当にこのインターネットで見つけた会社が僕等の夢を叶えてくれるところだったとしたら、僕等はとんでもない損をすることになる。でも、もし騙されていたとしたら、ものすごい高い海外旅行をしたと思ってすっぱりあきらめよう、命さえあればまた二人で頑張っていけばいいさ、なんて話しました。

こうして書くと笑い話のようだ、と思われる方もいるでしょう。でも、逆に僕等と同じ気持ちでいる方も多いんじゃないかと思うんですよ。もちろん、6年前とはインターネットの状況もどんどん変わっていて、もうあまり詐欺の話なども聞きませんが、それでも、やっぱり心配なんじゃないかと。

僕等二人、サンフランシスコ空港に初めて降り立ったときは、「できるだけ堂々としていようね」なんて言い合って…。それまでにはすでにIFCの東京の方ともお会いしてましたし、川田さんとも電話で話していたんですが、やっぱりクリニックに行ってハーバート院長先生にお会いするまで、猜疑心は100%消えなかったんですよ。

あんなにお世話になって、よくしていただいて、こんな元気で可愛い子供を二人も授かったというのに、川田さん、こんな話してすみません。でも、僕等と同じ気持ちを拭い去ることができなくて治療を諦めている人がいたらいけないと思って書かせていただきました。

ちなみに、上の子は一回目の新鮮胚の移植で授かり、二人目はそのときの凍結受精卵を解凍して授かりました。上女の子、下男の子で、カウンセラーの和実・ハートさんのところと同じです。

覚悟を決めてこのプログラムに参加したから、今の幸せな家庭があります。川田さん、IFCのスタッフの皆さん、有難うございました。