理屈ではない幸せ~卵子提供で授かった息子を育てて(関東甲信越地方のE様よりのお手紙)
IFCの皆さん、ハーバート先生、大変ご無沙汰いたしておりましたが、皆様お元気でご活躍のこととお慶び申し上げます。
きちんと皆様に御礼のお手紙を差し上げなくては、とずっと思っておりましたのに、今になってしまったことをお詫び申し上げます。
お蔭様で息子は、すくすくと成長しており、今年から幼稚園に通うようになりました。
無我夢中で子育てしているうちに、こんなに時間が経ってしまいました。
親バカと笑われるかもしれませんが、息子は元気で活発で好奇心旺盛、明るくて誰からも愛される良い子に育っております。もう、かわいくてかわいくて、この子がいない生活など、想像もできません。
今こうして息子を幼稚園に送り出した後、ひとりの時間を少しだけ持てるようになって、息子を授かる前の自分のことをなぜか思い出しました。
私達が、サンフランシスコで卵子提供を受けて息子を授かり、こんなに幸せな日々を過ごすことになるなんて、最初は想像できなかったからです。
主人と結婚したのは30歳を越えていましたが、いつかは子供が授かるだろうとのんきに構えていて、気づいたら40代に入っており、あわてて不妊治療をしたものの、初めての胚移植で妊娠陽性となって喜んだのも束の間、7週で流産。
その後も何度も体外受精治療を繰り返しましたが、結局合計3度の初期流産。最後には、空胞などもたくさんあって、もう私達は子供など一生持てないのだろうとずいぶん泣いた日々が続きました。
自分の卵子での治療を諦めた方がよいのかもしれないと思い始めたとき、図書館でふと、川田さんのご著書を手に取りました。
そしてその後すぐに、藁をもすがる思いで、IFCさんの東京オフィスをお訪ねしました。しかし、そのときの私達は、不安ばかりで、告知をどうしたらいいか、とか、良いドナーさんとめぐり会える保障はあるのか、とか理屈っぽい質問ばかりしてご担当者様を困らせたのではないかと思います。
そんな私達のおびただしい数の質問や、漠然とした不安な気持ちに、IFCのご担当者様が寄り添ってくださり、丁寧に説明してくださったり、一緒に考えてくださったりしました。
だからその後、夫婦でよく話し合い、卵子提供プログラムに進む決断ができたのだと思います。
初めての渡米検査は、やはり緊張しましたが、ハーバート先生が笑顔で「さあ、一緒に子作りしましょう!」とおっしゃってくださったとき、私達ももしかしたら本当に親になれるかもしれない、と勇気をもらった気分になりました。
私達夫婦は、希望の血液型の関係で、該当するドナー候補者さんの数は多くはなかったのですが、皆さん好感度の高い候補者さんばかりで、本当に有り難かったです。
初めての渡米中に、素敵なドナーさんとのご縁があり、本当にほっとしました。
実は、とりわけ気に入ったドナーさんが二人いらっしゃり、どちらにしようか最後まで迷ってしまいました。
でも、こうして、元気でかわいい息子を見ておりますと、私達の選択は間違いではなかったな、と実感しておりますし、ドナーさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
卵子提供プログラムに進んでからひとつだけ挫折はありました。初めての自己注射をがんばった胚移植の結果が、陰性だったのです・・・。
期待が大きかっただけに落胆も激しく、これで本当に親になる道が完全に閉ざされてしまったかのような気持ちになりました。
しかし、まだたくさん余剰胚が凍結されており、ハーバート先生より、『今回の残念な結果は、確率のいたずらだけの理由であろう』というお言葉をいただき、勇気を出して凍結胚移植に踏み切りました。
その凍結胚移植で見事妊娠。初めて超音波で心拍を見たときは、涙がぽろぽろ溢れ、夢にまで見た母子手帳を手にしたときも、また涙がとまりませんでした。
筋肉注射を続けていたので、お尻の皮膚はぱんぱんになってしまいましたが、お腹の中の赤ちゃんの命綱だと思ってがんばりました。
主人も、マッサージしてくれたりなど、優しく見守ってくれました。
妊娠中は、高齢出産ですし、太り過ぎないように産科の先生から指導を受け、食事にとても気をつけました。
そのせいか、特に問題もなく過ごし、これもまた高齢出産ということで薦められたので予定日の2週間ほど前に帝王切開が予め予定されることになりました。
出産の喜び、というのは、どんな言葉を使ってもうまく言い表せません。
初めて抱っこしたわが子が愛おしくて愛おしくて、主人と私は、涙がとまりませんでした。
面会にきてくれた私の両親も、主人の両親も、みんな涙まじりの笑顔で息子と対面してくれました。(なんだか、私達は嬉しくても泣いてばかりですね。)
こうして、かけがえのない息子を授かり育てている今、息子が私自身と遺伝子のつながりがない、とか、告知をどうするか、とか、理屈として私達が以前に心配していたことはすべて自然に乗り越えられるもの、という自信が自然に出てきてしまっていることに自分でも驚いています。
私の実家の両親には、卵子提供プログラムに参加したことを伝えてありましたので、自分たちの孫が、実は自分たちと血のつながりのないことを知っています。
しかし、両親とも、『おまえが産んだ子なんだから私達の孫だ』と、言ってくれて、いつも息子が遊びにいくのを今か今かと待ってくれています。
ご協力くださった卵子ドナーさんのご恩は一生忘れません。
私を母親に、そして主人が父親になれるようにご協力くだったこと、本当に感謝しております。
私達がこんな幸せをつかむきっかけをくださったIFCの皆様とハーバート先生に、大変遅くなりましたが、心から御礼を申し上げます。
どうぞ皆様、お元気でご活躍ください。