卵子提供体験談2015.02体験談

体験談:『卵子提供プログラムに進む決断:夫の視点から』関東甲信越地方のT様より

子供が生まれてからというもの、あっという間に時間が経ってしまい、御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。

私のような、『自由人』と呼ばれていたような人間が、こんなに親バカで子煩悩な父親になるなんて信じられない、と周りに大変驚かれています。目にいれても痛くない、という表現、今なら本当に分かります。子供は、本当にかわいいです。この子を授けていただいたハーバート先生とIFCの皆さんに、心から御礼を申し上げます。

思えば、初めてIFCさんの東京オフィスに、妻に半ば無理矢理連れていかれたのは、4年前のことでした。正直、そのときは、卵子提供だなんて想像もつかず、自分たち夫婦が進むようなものとは別世界のものだと思っていました。面談中、あまり気が進まなかったことから、ふてくされた態度をとってしまったと思うし、ろくに話もしなかったと思います。そんな失礼な態度をとっていたのに、丁寧に説明をしてくださった川田さんに改めて感謝します。

しかし、その頃の自分は、妻に対して、まだ卵子ができていたのに、なんでもう卵子提供なんだ、卵がとれる間はずっと自分の卵で頑張るべきじゃないか、とずっと言っていました。今考えると、その自分の言葉がどんなに妻を苦しめていたんだろうと思います。

最初私は、卵子ドナーの写真を見るのも嫌だ、と思っていました。変な話ですが、もし卵子ドナーの写真を見て、自分が誰かを選んだとしたら、妻に対して申し訳ない、というか、後ろめたいような気分になると思ったからです。

そのため、我々夫婦の話し合いはずっと平行線で、2年が経ちました。その間もずっと日本で不妊治療を続け、ついに卵子はとれても胚盤胞になるものが一個もない状態になってから、妻に、お願いだから、もう勘弁して、IFCの申込書にサインして、と泣かれました。

初めて面談してから2年以上もぐずぐずしていたにも関わらず、IFCさんは我々夫婦を暖かく迎えてくださり、卵子提供プログラムへの挑戦が始まりました。

ドナーさんの写真を見て、資料を見て、一人選ぶ、というのは、やはり自分として妻に対して申し訳ないような変な違和感がなかったとは言えませんが、「健康第一」ということで、健康で爽やかでいい感じだなと思った登録者を夫婦で選びました。

そして、拍子抜けするぐらいあっさり妻が妊娠したときは、その前の不妊治療の苦労はいったいなんだったんだろう、と思ったぐらいです。

そして今、あのとき、あのまま自分が卵子提供に進むことを拒んだままだったら、こんなに幸せそうに育児をしている妻も、寝ている姿を見るだけで仕事の疲れを吹き飛ばしてくれる子供も、自分の人生にいなかったのかと思うと、そうならなくて本当に良かったとしみじみ感じています。

たぶん世の男性の中にも、自分と同じように、不妊治療の本当の限界を理解せず、奥さんを知らずと苦しめている人がいるのではないかと思います。

4年前に妻に無理矢理連れていかれた面談の後、その時すぐに進んでいたら、自分の年齢(50を越えました)のこともあり、もっと良かったのではないかなと今にして思います。

卵子提供に進むかどうかをまだ迷っている方には本当に大変な決断だとは思いますが、どうか、私と同じような回り道をしないで、早く幸せをつかんでくれればいいなと思います。

最後に、子供の命の始まりをくれたドナーさんに、心から感謝します。


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