『人生最高のプレゼント!関西地方のA様からのお便り』
今膝の上で静かに寝息を立てている娘の寝顔を見ながら、このメールを打っております。
結婚したらすぐ子供に恵まれると思っていたのに、全くその兆しがなく、十数年という長い不妊治療を続けてきました。
その間、何度か妊娠したものの、すべて流産という辛い結果ばかりでした。
そして40歳を過ぎた頃、長い不妊治療のせいなのか、いろんなストレスのせいなのか体調を崩してしまったのです。
主人と何日も話し合い、もう子供はあきらめて二人だけの生活でもいいじゃないかと決めたものの、やはり私はどこかあきらめきれない気持ちでいたのです。
そんな時、川田先生著書「いつまで産める?わたしの赤ちゃん」と出会い、卵子提供という方法があるのだと知り、これしかないと決心を固めました。
私の母はすぐ理解してくれて、あらゆる面で協力すると言ってくれたのですが、主人は、「君と血がつながらない子供を産んで、君自身がその子を愛せるのか」という事と、後からは理解したものの、IFCを良くわからなかった初めは、不安な気持ちも大きかったようでした。
私の決心は強かったので、なんとか3ヶ月かけて主人を口説き落とし、東京のIFCで詳しい話を聞いて、やっと主人も一緒に頑張ろうという気持ちになってくれました。
その翌月、さっそくサンフランシスコに2人で渡り、ドナーさんを決め、あとはスケジュールが決まるのを待つだけという時に、IFCから連絡が・・・!
ドナーさんとのスケジュールがどうしても合わず、当初の調整可能な日程でサイクルへ進むことが難しくなってしまったため、そのドナーさんとのサイクルがやむなくキャンセルになってしまいました。卵子提供という第3者を介してのサイクルの難しさを痛感したと同時に一日でも早く子供が欲しかった私たちは、ショックと焦りでいっぱいでした。
ところが、IFCの方から最速で受けてくれるドナーさんを改めて紹介された中に、なんと私たちが最初に気に入っていたドナーさんがいたのです!
そのドナーさんはもう約一年先まで予約が入っていてあきらめたのですが、たまたまキャンセルがあって今なら大丈夫ということで、すぐその方にお願いしました!
それから3ヵ月後、ひとつの新鮮胚を私の子宮に移植し、その結果見事妊娠!
主人と二人手を取り合って喜びました。
でも、それはつかの間の喜びであって、妊娠6週で成長が止まってしまったのです。
その時のショックは大きく、やはり私は妊娠できないのかな・・・私の子宮がいけないのかな・・・まだ凍結胚は残っているけど、また流産したらどうしよう・・・と不安な気持ちでいっぱいでした。
でも、希望を捨てたらそこで終わりだと主人に言われ、早速次のスケジュールをIFCの方にたてていただき、半年後、2度目の胚移植をしました。
そして妊娠判定の日、朝から物凄く緊張し、主人は朝食が喉を通らないくらいでした。
結果は妊娠反応あり!とのことでした。
・・・が、前回のこともあり、心拍を確認するまで不安は消えませんでした。
そんな不安の中、なんと6週目で心拍確認!
やったー!と思った瞬間、翌日大出血・・・。
また流産なのか・・・と、絶望しながら主人と病院へ。
ところが、エコーで子宮の中を見ると、強く心拍を打つ子供の姿があったのです!
どうやら切迫流産だったようで、しばらく安静にとのことでしたが、ひとまず安心しました。
それから、毎回受診の度にちゃんと成長しているか緊張のし通しでした。
が、順調に子供は成長し続け、無事出産に至りました。
子供の産声を聞いたあの感動の瞬間は一生忘れることはないでしょう。
子供と対面した時、涙がポロポロと溢れて、これまでの辛かった記憶が一瞬にして消えたように思います。
その娘も、今は生まれて二ヶ月を過ぎ、少しずつ育児にも慣れてきました。夢にまで見た日々です。
本当に元気で、ミルクをいっぱい飲みます!
ちょっと夜泣きが凄くて毎晩寝不足ですが、それすらも幸せに感じられます。
娘に我が家に、私たちのところに生まれてきてくれて本当にありがとうと毎日感謝しています。
そして、いろいろと優しくサポートしてくださったIFCのスタッフの皆様、ハーバート先生、和実ハートさん、特にドナーの方には、スケジュールに合わせて何度も、それも、とても痛い注射はもちろん、とても遠いクリニックへの移動や、検診、もっと痛かったであろう採卵、ご自分のお体に負担をかけてまで、大切な卵子をご提供いただき、本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
私たち夫婦に可愛い娘を授けてくださって本当にありがとうございました。
娘は私たちの人生最高のプレゼントです!
本当に本当にありがとうございました!